俺は50万で売られてる⑤

派遣元に搾取され、派遣先でもいいように働かされてる俺。

2人でやるべき仕事を1人でやらされている。担当は1人。機械関係の仕事。文系で、詳しくない俺が機械のことなどわかるわけがないのに、こんな仕事に放り込まれちまった。

他の人間は、更に、俺より詳しくなく、手伝ってもらうにも手伝いようがない。全て俺に集中する仕事。

仕事を休めない。仕事が追いかけてくる。毎日、毎日、追い込まれてる。

朝、早くに目覚めてしまう。寝ていても仕事が追いかけてくるんだ。

たまに声を上げて起きてしまう「うわーーーー!」

妻と子供に申し訳ないが、精神状態がおかしい。

ある日、妻に何なのか?と言われた時に思わず口を突いていた。「うるせー!」

最悪だ。一番信頼してる人間に怒鳴ってしまった。

なんで、こんなになったんだ?

馬鹿野郎!仕事で追い込まれて、何故、こんなことにならなきゃならないんだ?

仕事ってなんだ?

毎日、酒を飲んでしまう。

酔えない。

最悪だ。典型的なだめオヤジだ。


ある日、俺を搾取している派遣元の取締役と部長が、やってきた。

俺に追い打ちをかける。

お前、この仕事だめなら、社会人としても終わりだぞ。

お前は、派遣先に雇ってもらってるんだぞ。ありがたく思え。

何故お前1人でやらせてるかわかるか?2人にしたら、派遣先にもらってる金に見合わないからな。

お前は50万なんだよ。

お前らはいくら懐に入ってくるんだ?派遣先はいくら、懐に入れてるんだ?俺は、幾らの価値なんだ?人を物のように扱いやがって。

社会人として終わりだと?

全世界を見渡してそう判断してんのか?お?

俺がいつまでも奴隷だと思うなよ。




バリ島の思い出 その5

バリ島の新婚旅行日記の第五弾となります。

 

新婚旅行で持参したインドネシアの紙幣ルピーが、使えないと分かり、インドネシア中央銀行に交換に行くも交換が出来ずにホテルへ戻った、私たち夫婦。

くたびれ果てて、ベッドで、しばらく眠り、目覚めると、3日目の朝となっていた。

インドネシア旅行3日目。10月18日(土)

朝、インドネシアの空が見たくて、寝ている妻を起こさないよう、こっそり部屋のベランダに出てみた。外は、湿度がそれほど高くなく、過ごしやすい熱さだ。

ベランダに、2人で寝そべる事が出来るくらいの籐のソファーのようなものが置かれていたので、1人、寝転がり、ボーっとしていた。

ホテル敷地内の庭では、牛が放牧されている。のんびりとした牛の鳴き声と首に巻かれた鈴の音色、遠くの空を見ていたら、心が解放され、チマチマ、こせこせした日本なんて、馬鹿馬鹿しい国には、帰りたくなくなって来る。

 

しばらくぼーっとしていると、妻が起きて来た。

今日は、夕方に旅行会社のオプショナルツアーを予約し、ウブドインドネシアの伝統舞踊を見に行く予定となっている。

その前に少し時間もあるので、ホテル近くにある海岸へ行くことになった。

海岸に到着すると、まず目に飛び込んで来たのは、広大でどこまでも終わりのない青々とした海だった。照り付ける日差しに応じるように海は大きく波打ち、私たちを歓迎しているようだった。

波が高いので、現地の監視員は、利用者をしっかりと監視し、誰かが危険な場所へ行こうとすると、注意を促していた。

恐いもの知らずの妻は、ここなら大丈夫と、大きな岩と岩の隙間を見つけ、私を誘う。

その場所は、思いのほか、大きな波が来ており、その波が岩にぶつかる事で、勢いを増していた。

「ここは、波が高くて危険だよ。流されちゃうよ」

と、私が言うと、妻は、笑いながら、何食わぬ顔で「大丈夫、大丈夫」というが、何が大丈夫だというのだろう?大丈夫じゃない波が来ている。

いやいや、本当にまずいんじゃないか?と思っていると、すかさず、監視員に注意された。

別の場所に移動し、比較的波が弱い海岸添いに行くが、しばらくすると、その場所も波の勢いが増してきた。妻は何気ない顔をしていたが、私は、必要以上に膝を上げてその波から逃げていた。

その様子を見ていた監視員たちは、私のリアクションの大きさに声を出して笑っていた。

照り付ける強い日差しにジリジリとしながらも、大きな青い海と波を見ながら、楽しむ時間。こんな時間がいつまでも続くといいのに。

海岸には、私たち夫婦の他に、中国人カップルが2組、日本人の女の子が2人がいた。

彼等も私たちと同じように、押し寄せる波に近づいたり、逃げたりしてテンション高く、はしゃいでいた。みんな楽しそうだ。

日差しが強すぎ、暑さに耐えられなくなった私達は、木陰に移動し、ホテルで用意してくれていた、ビーチパラソル付きのソファーに寝転がりながら、人や海を見ていた。

しばらく涼んでから、再び海岸に戻り、私が日本から持ってきたサッカーボールで妻とパス交換をしたり、海に再び入ったりと、海での自由な時間を2時間ほど満喫しただろうか?

夕方のオプショナルツアーの時間が近づいてきたので、その準備のためにホテルに戻った。

 

つづく

 

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母の強さ

あれは、小学二年生の頃。10階建て のボロビルに住んでいた頃の話。

学校が終わり、いつもなら、友達と遊んで、夕暮れ時に家に帰るのだが、今日は誰も遊んでくれない。
しょーがねーかと、家に帰る。

母は、専業主婦だったから、常に家に居たのだけれど、その日は、たまたまいなかった。
幼きヒョロヒョロの私は、母の帰りを待つべくビルの入り口で待ち続けることにした。ビルの隣には、鯛焼き屋さんがあり、その鯛焼きを焼く匂いを嗅ぎながら、母の帰りを待つことにした。
1時間経っても母は戻ってこない。
2時間経っても帰ってこない。
私はやることがなくなり、下水の小さな穴に足で石ころを入れる遊びを思いついた。
夢中になって、石ころを下水に入れた。下ばかり向いていた。
通りすがりのおばぁさんが、僕に話しかけてくる。
1人かい?
シャイな僕はただ、節目がちに頷くだけだった。
おばぁさんは、何か言いたそうな顔をして、遠くに消えていった。
 
まだ、母は帰ってこない。
引き続き、石ころ遊びをしながら待つ。
母は帰ってこない。
下を向いていた、その時、後ろから誰かに肩を掴まれた。
母か?
いや、知らないおじさんだ。
「1人?」
僕は固まった。
「おじさんと、どっか行こう。」
 
ものすごい強い力で私を押さえつける。おじさんに連れていかれそうになる。
声が出ない。このまま、おじさんにさらわれてしまうのか?
怖い。怖い。
 
その時、だ。
 
「あんたーーーーーーーーー!、なにやってんのよーーーーーーーー!
 うちの子にーーーーーーーー!」
母が、絶妙なタイミングで向かいの入り口から血相を変えて、飛んできた。
いつもは、優しい母がその時ばかりは鬼の形相だった。
 
母は、私を抱きしめ、おじさんから強い力で、引き離す。
 
おじさんは、かなりビビった表情で、そそくさと退散して行った。
 
母は、私をもう一度、強く抱きしめた。ただ、何も言わず、私を強く抱きしめた。
 
警察に通報した。聞けば、おじさんは、この界隈で子供に声を掛けて連れ去ろうとするおじさんらしい。
 
しかし、あの時、誰も助けてくれなかったとしたら、どうなっていたのだろう?
母の本能が、私を見つけてくれたのだろうか?
今もたまにあの時のことを思い出すが、母の温もりだけは、未だに残っている。
 
母に感謝。
 
 
 
 
 

 
 

仕事にハマれない

私は、仕事に興味を持てたことが、ない。

毎日、会社に当たり前のように通う事がありえないと感じてしまう。


オフィスにいても、何故、俺はここにいるんだ?いや、いなければならないのか?と、思ってしまう。

そんなことを繰り返していると、やがて、それが、哀しみにすら感じられてくる。

俺はこんなことをするために生まれてきたわけじゃない。と思ってしまう。

我慢して仕事をしている人を何処かで馬鹿にしているのかもしれない。

自分もその1人なのに。。


おかしいだろうか?


モビルスーツみたいに毎日、毎日、他のモビルスーツと同じような顔して、歩いて、当たり前のように金もらって、苦痛な顔して、「まぁ我慢も仕事の内だよ。」

なんて、酒で飲み込んで、数十年、やり過ごせるっていうのか?


妻のため、子のため。って、歯を食いしばって、働いて、病んで、会社から弾き出され、リハビリに金を費やして、要は誰も助けてくれない、そんな生き方を続けてくのか?


自分に最も相応しい生き方って、なんだろう?

正解がまだ、見つからない。


誰か教えてください。って、純粋な目で訴えたところで、45歳の中年男に生き方を教えてくれる人なんて、いやしないんです。








おじさんを救った話

あれは、3年ほど前の冬だったろうか?

会社帰りに妻と東京駅地下鉄構内の中華料理屋でご飯を食べ、さぁ、帰ろうかと電車に乗る前に起きた出来事。

改札を通る時、陽気なほろ酔い気分のおじさんが2人、肩を寄せ合い別れの挨拶をしてるのを見かけながら、改札を通過した。

今日は楽しかったよー!じゃあ、またなー!気をつけてー。

と言う声と酒臭さを避けて我々は駅ホームに向かう、長い長いエスカレーターを降りていた。

美味しいご飯を食べて、こちらも少しほろ酔い気分。

あれ?後ろを振り向くと、さっきのおじさん。陽気に酔ってる。ゆーらゆーらゆーらゆーらしてる。気持ち良さそうに。。

 

右側に気をつけろ!

 

その時、おじさんがバランスを崩し、転げ落ちた。真っ逆さまに。

エスカレーターに居合わせたのは、私と妻と30代くらいのOLと40代のサラリーマンの4人。

みんな、思った。

あっ!危ない!

 

そう思ってる内にも、おじさんは落ちてゆく。

何とかしなきゃ。

止まらない。止まらないおじさん。

「うわーーー!」

おじさんの叫び声。

 

先ず、40代のサラリーマンが動く。

下に向かって真っ逆さまのおじさんを止めにかかる。手を伸ばすが間に合わない。

OLが叫ぶ。

「止めなきゃ。止めなきゃ。」

私の出番。フットサルをやってるので、走りは大丈夫。(あっ、私も40代のサラリーマン。)

おじさんが落ちるより早く、階段を駆け下り、エスカレーターの停止ボタンを目指す。

下に降りるが、こんな時は、焦る。

「ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ボタン、どこだ?」

そうこうしてる間に、おじさんは、落ちてくる。

「まずい、まずい、おじさん、頭打っちまうよ。どうしよう、どうしよう、。。。あったー!」

停止ボタンを押す。

5段手前で、エスカレーターが、止まった。

 

まるで、映画アンタッチャブルの階段落ちシーンのよう。

 

40代のサラリーマン。OL。私。そして、妻もおじさんに駆け寄る。

先ずは、おじさんをエスカレーターから、地上に移動させる。割腹がいいおじさんなので、かなり重い。4人がかりで、下に下ろす。おじさんは、額と捲り上げたシャツからのぞく肘から出血。

妻がハンカチで止血する。

(妻は、看護師。)

 

おじさんの意識はある。

「すんませーん。すんませーん。」

止血していた妻の白いコートの袖は、おじさんの赤い血で染まってしまった。

 

駅員が駆け寄る。

おじさんをタンカーに乗せる。

おじさん、身体の何処かを打撲しているようだ。骨折してるかもしれない。

 

しばらくして、救急車が来た。

おじさんは運ばれていった。

 

無事だといいなー。

 

その後、私と妻の間では、エスカレーターに乗る時は、後ろに気をつけよう。

という注意事項が出来た。

 

お酒は適度に飲みましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

バリ島の思い出 その4

バリ島の新婚旅行日記の第四弾となります。

 

10月17日(金)バリ島2日目。

自分たちが持ってきた10万程のルピーが使えないと知らされた私と妻は、HISのバリ支店へとその事実を確かめに行った。

受付で話を聞いたところによると、持ってきた紙幣の全ては、1995年製で、現在のルピーと交換するには、インドネシア中央銀行に行かなければ、交換出来ない。と伝えられた。中央銀行は、土日休み、平日は15時までなので、早くいかないといけない。

昨日の疲れもあり、午前中いっぱいまで眠り続け、遅い朝食後、のんびりしていたら、時間は13時。

15時まで、あと2時間しかない。今日はもう、間に合わないだろうと、あきらめていた所、妻が、すぐにでも行ってみようと言うので、いざ、中央銀行を探しに出かけることになった。

場所は、ホテルから車で45分程のテンパサールだ。

急いで現地のタクシーを手配してもらうことした。

タクシーが来る。タクシーに乗り込むと、運転手は、インドネシアなまりの英語を話す、現地の人だった。日本語はまるで話せない。

こちらも、英語で話さなければならないことに、少し緊張してきたが、簡単な中学英語で何とかしようと、私は腹を決めた。

車に乗りこむと、何やら運転手が話しかけて来る。

妻が、中央銀行に着いたら、用が済むまで待っていた方がいいか?と聞かれている様だというので、プリーズウエイト!と私は、片言の英語で答えた。

(って、妻は英語聞き取れるのか?)

タクシーが発車する。

現地の運転手と日本人夫婦の3人の不思議なタクシーの旅が始まった。

 

車の中は、皆が終始無言だった。

運転手は、運転に専念。我々夫婦は、町の景色をただ、無言で眺めている。。

車の中から見るインドネシアは、どこか昔の昭和の風景のように見える。

舗装されていない道路。上半身裸で路上に座る人々。崩れかけた壁の落書き、暇そうに煙草をふかす屋台の信号待ちのバイク。前と後ろに子供を乗せ、三人乗りのバイクが、狭い道路を縫うように走る。

しかし、この国のバイクの数は、非常に多い。まだ小学生くらいの子供までもが、バイクにまたがり、どこかへ急いでいる。

そんな事を考えていると隣で妻が時計を指さす。15時まであと10分程になってしまっていた。目的地にはまだ、到着していない。

運転手さんは、こちらが指定した中央銀行の場所が分からずに、焦りの色が濃くなってきた。途中で車を降り、何度も人に道を尋ねている。

妻と2人きりで車内に残された私達。

妻。「あの運転手、場所分かってないみたいだね。」

私。「もう、間に合わないなこりゃ。」

戻って来た、運転手の顔には、焦りの色が更に深くなっているように思われた。

教えられたとおりの道を走っているようだが、中央銀行はまだ、見えてこない。

またまた、運転手は途中で車を降り、人に道を尋ね始めた。

時計は、もう、15時20分。目的の時間は既に過ぎてしまっている。

戻って来た運転手さんは、急いで車に乗り込み、急いで走り出す。

とにかく、仕事を全うしてくれる姿勢に悪い気にすらなってきた。

運転手さんもプレッシャーからか、空咳が増えて来た。

更に車を走らせていると、妻が叫ぶ。

「あったよ!あれだ!」その声と同時にタクシーは、銀行の正門に着いていた。

かなり大きな銀行だ。

警備員が出て来て、運転手に話しかける。

「何の用だ?」(と、たぶん言っているようです。)

運転手さんは、焦った表情で、こちらを振り向いて、インドネシア訛りの英語で何か聞いて来る。

何を言ってるのか私には、さっぱりわからなかったが、妻が素早く、流暢な英語で答えていた。(え?え?妻、話せたの?英語?)

それに対して、運転手さんは、警備員に何か伝えている。

そして、また、こちらに話しかけてきた。

妻。「この銀行、今日、11時半で終わりだって。」

銀行は、15時までじゃなかったのか?なんだ、はじめから、間に合ってなかったんだ。

というより、今の私は、銀行が15時までではなかったという事よりも、小・中学校の英語の授業で英会話を習った程度の英語力だといっていた妻の英語力が、立派だったという事の方に衝撃を受けており、ホテルに戻る車の中で、ずーっと、片頭痛がしていた。

 

銀行の場所が見つけられず、ばつが悪かったのか、運転手さんは、「どこか寄ってからホテルに戻りましょうか?」と聞いてきたような気がした。

妻が、即答で「スーパーマーケッ!」と答えていたので、そうなのだろう。

程なくして、インドネシアのスーパーマーケッ!で降ろしてもらった私たちは、

本来の目的を達成できなかった穴埋めとばかりに、見た事のないメーカーのスナックやら、ネスレの缶コーヒーやらを買いこんで車に戻った。

 

また、しばらく、ホテルまでの道のりを走る。

適度な揺れに少し眠くなっていると、運転手さんが、中央銀行に何をしに行こうと思ったか、聞いてきたようなので、妻が答える。

「父にインドネシアの紙幣を渡され、旅行に来たが、旧紙幣で使えないので、中央銀行なら交換してくれると聞いて、行ってみた。」と答えている様な気がしたので、

私は、その1995年製の旧紙幣を運転手に1枚見せた。

少し苦笑いした彼は、私に旧紙幣を戻し、そのお金は使えないだろう。

という表情を浮かべて見せた。

 

インドネシアの運転手と日本人夫婦の不思議な異国間交流は、終わりを迎えようとしていた。車がホテルの敷地内に入ってゆく。

不思議なことに、寂しいような気持ちもしてきた。

 

妻が、タクシーの降り際にまた、運転手に英語で何やら話掛け始めたので、

「おい!何を話してるんだい!」と私。

妻は、インドネシアの旧紙幣が、実はたくさんあるから、これをあなたにあげる。それを中央銀行に持っていけば、お金になるから、それをタクシー代としてくれないか?

と言ったと。

運転手は、最後の最後に本当に無理な要求をして

来る妻に、本当に困った様子で、どこかに電話し始めた。しばらくのやり取りの後、電話を切った彼は、私たちにこう言った。

「この旧紙幣は、インドネシア人が持っていると、何か悪いことをした。(あるいは、している)と思われるので、受け取ることはできない」と、丁寧に断られた。

 

結局、タクシー代もカードで払い、今後も紙幣は使えないことが確定した。

妻のお父さんからもらった旧紙幣は、私たちと一緒にホテルの部屋へ戻ることになった。

ホテルの部屋に着くと時間は17時半を差していた

。不思議なタクシーの旅を終えた私たちは、くたびれ、そのままベッドでしばらく眠ってしまった。

 

つづく

 

過去の記事は、こちら。

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俺は50万で売られてる④

派遣先の会社に50万で売られてる話の続きです。

 

その後、パワハラ上司の酷い現状を訴えても何も変わることなく、他に受け入れる派遣先はないと言われ、相変わらず追い込まれている俺。

派遣元の会社は、何度も何度も俺に確認に来ます。どう?その後?

何も変わらないです。

でも。根を上げられても他に行くところないから頑張って。

あー、そうですか。

家族を抱えてる弱みにつけこんで、会社は俺に強気に出ます。

もっと、マシな職場にうつしてくれという、主張も受け入れられません。

むしろ、生意気な奴と思われ、絶対、他の所に行かせないと決めたのでしょう。

50万の為の犠牲はしょうがない、と。

 

そんな主張を繰り返していた、ある時。派遣元の会社の取締役が直接やってきました。

珈琲屋に連れて行かれ、俺の向かいに座り、足を組みながらこう言います。

パワハラ上司がどうというより、お前の社会人の資質がないんじゃないか?周りの人は皆、そう言ってるようだそ。

何か、心当たりはないのか?

俺は、こう答えます。

いや、ありません。

社会人の資質がない?具体的に何が?資質って?説明もなく勝手に人を当て込んで、資質がないとは、どういう事でしょうか?

下手に自己主張をしたら、今度は俺が悪者です。なんの能力もない、ダメ人間とでも言いたいのでしょうか?

あんたに資質はあるのか?

 

取締役は、言います。

まぁ、俺から、お前が頑張りたいって言ってる事を派遣先に伝えとくよ。

 

上からものを言いやがって!

 

 

もう、逃げ場はないのでしょうか?

 

いや、逃げてやる。生きる為に逃げてやる。

会社の為に病んで、再起不能になるなんてまっぴらごめんだ。

 

駄文ですが、過去の記事はこちらから!

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