バリ島の思い出 その4

バリ島の新婚旅行日記の第四弾となります。

 

10月17日(金)バリ島2日目。

自分たちが持ってきた10万程のルピーが使えないと知らされた私と妻は、HISのバリ支店へとその事実を確かめに行った。

受付で話を聞いたところによると、持ってきた紙幣の全ては、1995年製で、現在のルピーと交換するには、インドネシア中央銀行に行かなければ、交換出来ない。と伝えられた。中央銀行は、土日休み、平日は15時までなので、早くいかないといけない。

昨日の疲れもあり、午前中いっぱいまで眠り続け、遅い朝食後、のんびりしていたら、時間は13時。

15時まで、あと2時間しかない。今日はもう、間に合わないだろうと、あきらめていた所、妻が、すぐにでも行ってみようと言うので、いざ、中央銀行を探しに出かけることになった。

場所は、ホテルから車で45分程のテンパサールだ。

急いで現地のタクシーを手配してもらうことした。

タクシーが来る。タクシーに乗り込むと、運転手は、インドネシアなまりの英語を話す、現地の人だった。日本語はまるで話せない。

こちらも、英語で話さなければならないことに、少し緊張してきたが、簡単な中学英語で何とかしようと、私は腹を決めた。

車に乗りこむと、何やら運転手が話しかけて来る。

妻が、中央銀行に着いたら、用が済むまで待っていた方がいいか?と聞かれている様だというので、プリーズウエイト!と私は、片言の英語で答えた。

(って、妻は英語聞き取れるのか?)

タクシーが発車する。

現地の運転手と日本人夫婦の3人の不思議なタクシーの旅が始まった。

 

車の中は、皆が終始無言だった。

運転手は、運転に専念。我々夫婦は、町の景色をただ、無言で眺めている。。

車の中から見るインドネシアは、どこか昔の昭和の風景のように見える。

舗装されていない道路。上半身裸で路上に座る人々。崩れかけた壁の落書き、暇そうに煙草をふかす屋台の信号待ちのバイク。前と後ろに子供を乗せ、三人乗りのバイクが、狭い道路を縫うように走る。

しかし、この国のバイクの数は、非常に多い。まだ小学生くらいの子供までもが、バイクにまたがり、どこかへ急いでいる。

そんな事を考えていると隣で妻が時計を指さす。15時まであと10分程になってしまっていた。目的地にはまだ、到着していない。

運転手さんは、こちらが指定した中央銀行の場所が分からずに、焦りの色が濃くなってきた。途中で車を降り、何度も人に道を尋ねている。

妻と2人きりで車内に残された私達。

妻。「あの運転手、場所分かってないみたいだね。」

私。「もう、間に合わないなこりゃ。」

戻って来た、運転手の顔には、焦りの色が更に深くなっているように思われた。

教えられたとおりの道を走っているようだが、中央銀行はまだ、見えてこない。

またまた、運転手は途中で車を降り、人に道を尋ね始めた。

時計は、もう、15時20分。目的の時間は既に過ぎてしまっている。

戻って来た運転手さんは、急いで車に乗り込み、急いで走り出す。

とにかく、仕事を全うしてくれる姿勢に悪い気にすらなってきた。

運転手さんもプレッシャーからか、空咳が増えて来た。

更に車を走らせていると、妻が叫ぶ。

「あったよ!あれだ!」その声と同時にタクシーは、銀行の正門に着いていた。

かなり大きな銀行だ。

警備員が出て来て、運転手に話しかける。

「何の用だ?」(と、たぶん言っているようです。)

運転手さんは、焦った表情で、こちらを振り向いて、インドネシア訛りの英語で何か聞いて来る。

何を言ってるのか私には、さっぱりわからなかったが、妻が素早く、流暢な英語で答えていた。(え?え?妻、話せたの?英語?)

それに対して、運転手さんは、警備員に何か伝えている。

そして、また、こちらに話しかけてきた。

妻。「この銀行、今日、11時半で終わりだって。」

銀行は、15時までじゃなかったのか?なんだ、はじめから、間に合ってなかったんだ。

というより、今の私は、銀行が15時までではなかったという事よりも、小・中学校の英語の授業で英会話を習った程度の英語力だといっていた妻の英語力が、立派だったという事の方に衝撃を受けており、ホテルに戻る車の中で、ずーっと、片頭痛がしていた。

 

銀行の場所が見つけられず、ばつが悪かったのか、運転手さんは、「どこか寄ってからホテルに戻りましょうか?」と聞いてきたような気がした。

妻が、即答で「スーパーマーケッ!」と答えていたので、そうなのだろう。

程なくして、インドネシアのスーパーマーケッ!で降ろしてもらった私たちは、

本来の目的を達成できなかった穴埋めとばかりに、見た事のないメーカーのスナックやら、ネスレの缶コーヒーやらを買いこんで車に戻った。

 

また、しばらく、ホテルまでの道のりを走る。

適度な揺れに少し眠くなっていると、運転手さんが、中央銀行に何をしに行こうと思ったか、聞いてきたようなので、妻が答える。

「父にインドネシアの紙幣を渡され、旅行に来たが、旧紙幣で使えないので、中央銀行なら交換してくれると聞いて、行ってみた。」と答えている様な気がしたので、

私は、その1995年製の旧紙幣を運転手に1枚見せた。

少し苦笑いした彼は、私に旧紙幣を戻し、そのお金は使えないだろう。

という表情を浮かべて見せた。

 

インドネシアの運転手と日本人夫婦の不思議な異国間交流は、終わりを迎えようとしていた。車がホテルの敷地内に入ってゆく。

不思議なことに、寂しいような気持ちもしてきた。

 

妻が、タクシーの降り際にまた、運転手に英語で何やら話掛け始めたので、

「おい!何を話してるんだい!」と私。

妻は、インドネシアの旧紙幣が、実はたくさんあるから、これをあなたにあげる。それを中央銀行に持っていけば、お金になるから、それをタクシー代としてくれないか?

と言ったと。

運転手は、最後の最後に本当に無理な要求をして

来る妻に、本当に困った様子で、どこかに電話し始めた。しばらくのやり取りの後、電話を切った彼は、私たちにこう言った。

「この旧紙幣は、インドネシア人が持っていると、何か悪いことをした。(あるいは、している)と思われるので、受け取ることはできない」と、丁寧に断られた。

 

結局、タクシー代もカードで払い、今後も紙幣は使えないことが確定した。

妻のお父さんからもらった旧紙幣は、私たちと一緒にホテルの部屋へ戻ることになった。

ホテルの部屋に着くと時間は17時半を差していた

。不思議なタクシーの旅を終えた私たちは、くたびれ、そのままベッドでしばらく眠ってしまった。

 

つづく

 

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