土曜日の朝と日曜日の夜

タイムカードを一刻も早く押し、やたらと重苦しい雰囲気の会社の建物から脱出する。


今週も合わない仕事や嫌な人間関係をなんとか、耐え、週末、金曜の夜を迎えた。

妻や子供の顔を早く見たくて、家に帰る。

今日も2人は私を暖かく迎えてくれる。

有難いことだ。


金曜の夜は、貴重だ。一番楽しいかもしれない。子供が、笑顔で私に遊んでくれと、近づいてくるので、思いっきり遊んでやる。

遊んでやる?いや、遊んでもらってるのは、私の方だ。疲れた心が洗われる。

とことん遊んで、子供が寝てしまうと、妻と取り留めもない話をして、私も早く寝てしまった。妻には仕事の話はするまい。愚痴ばかりで、迷惑を掛けてしまう。


土曜日の朝。早く目覚める。仕事から解放されたのに、仕事のことを考えて胸が苦しくなってしまう。いつもこうだ。休みの日なのに休み明けの月曜日の事を思うと、積んでる気がしてしまう。

気を取り直して、貴重な休みの時間を惜しむように、活動的に動くが、ふと、頭をよぎる仕事。。

気にするな。まだ、明日一日あるさ。


日曜日の朝も同じような気持ちで目覚め、胸をかきむしる。

月曜日の事を忘れるために、子供と思い切り遊び、妻の手伝いをし、余った時間にフットサルで朝を流しに、外へ出かける。

フットサルで汗を流し、気づくともう、夕方。

まだ、日曜日は、残っている。子供とお風呂に入り、また、遊んでもらう。

子供を何度も抱きしめる。

色んな感情がこみ上げる。


子供が眠りに入り、

気づくと、日曜日ももう、21時。


21時を迎えた頃から、嫌な気持ちに支配される。仕事が追ってくる。嫌な人間関係が追ってくる。明日を迎えたくない。仕事に行きたくない。

次の日の朝、6時の目覚めのタイマーが嫌だ。


40代になり、こんな気持ちを毎回、抱えて、転職を繰り返してしまっている。

言えることは、自分が何に向いているのかを考えに考えても、実力がないので、思い通りの職に就くことができなかったこと。

いや、もっと若い二十代の頃に方向性を真剣に固めなければならなかったのだ。


仕方がない。時間は戻りはしない。自分以外の人もみんな同じだろう。私だけだと思うのが、甘ったれた発想だ。みんな嫌々、生活の為に耐えているんだ。

しかし、こんな事を書き綴っていると、自分が、単に働きたくないだけの、情けのない中年になってしまったことに気づく。


子供や妻に、もう少し胸を張って生きる自分を見せたい。


何とか、自分の納得の行く生き方を考え続けなければ。