バリ島の思い出 その3

バリ島の新婚旅行日記の第三弾となります。

海の見えるレストランで波の音を聞きながら夕食を、食べた我々夫婦。
流しの男達にチップを渡し、怪訝そうな顔をされた理由がわかったのは、会計の時だった。英語が話せない私は、妻に持ってきたルピーの一部を渡し、会計を頼む。すると、お店の女主人が、なにやら眉間にしわを寄せて妻に話し掛けている。何を話してるんだろう?って、妻は英語話せるのか?
戻ってきた妻。
私。どうだった?
妻。持ってきたルピー使えないって?
私。えっ?
なんと、妻の義父さんに持たせてもらった10万ほどのルピーが、旧紙幣で既に使えないものだったということだ。
私。どうするよ。
妻。どうするっていったって、使えないからしょうがないじゃない。
私。どうするよ?
妻。カードで払えるか聞いてみる。
 
再び、女主人と話をしにいった妻。
って、英語話せるのかよ?妻?
 
戻ってくる妻。
 
カードが使えたよ。
 
ほっと胸をなでおろす私。
そして、戻って来た妻。
 
こうして、バリ島初日の夜は終わって行くのだった。
 
続く
 
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私。

バリ島の思い出 その2

 テンパサール空港に着いた。

入国審査のロビーへと向かうバスが真ん中の扉を大きく開けて、旅行者を待っていた。バスには、沢山の人達が乗り込んでいく。

私達新婚夫婦も、慌ててバスに乗り込み、揺られること5分。

入国審査のロビーへ到着した。

入国審査場。

審査を受ける人が列をなしている。

私達もその列に加わる。

受付のインドネシア人が厳しそうな目つきをしていて怖い。

私達夫婦の浮かれた気持ちも審査されるのではないのか?などど、妄想をたくましくしていると、自分たちの番が回って来た。

列に並んでいる間、妻もいるので、いい所を見せなければ男じゃない。

などど、昭和気質を発揮して意気込む私。

頭の中で、どんな英語を使おうか?シュミレーションまでしていたのに、

パスポートと入国審査券を見せるだけで、あっさりと審査は終了してしまった。

荷物検査も何も問題なく、通過し、預けていたトランクを受け取るだけ。

こちらも待たされる事なく受け取る事が出来た。

空港出口では、現地の旅行会社の人達が、それぞれの旅行会社のプレートを掲げて、旅行者を待っていていた。

私たち夫婦の申し込んだ旅行会社は、HIS。

その担当を探さなければならない。

その前に、当時、日本では、代々木公園で蚊を媒介にした、デング熱が話題になっていたが、インドネシアデング熱の発生率の高い地域。我々は、入念に蚊よけスプレーを全身に塗っていた。

 改めて、旅行会社を見つける私達。

HISの看板を見つけた。現地のホテル・リンバ・ジンバラン・バリの旅行担当のインドネシア人が近づいて来る。いかつい顔をしていて、ビビったが、日本語がペラペラで、陽気なインドネシア人だった。

私たちを含め、3組の日本人観光客が、ホテルへの車に乗せられ、揺られる事、30分。ホテル・リンバ・ジンバラン・バリに到着した。

チェックインの手続きやらなにやらをしていたら、時間はもう夜の20時。お腹も減ってくる時間だ。

夕食の時間。

初日のメインは、ホテル近くの海沿いのレストランで、夕日を見ながらシーフード料理を楽しむというプラン。

波の音を聞きながら食べる夕食は、雰囲気があったが、20時を回っていたので、周囲が暗すぎて、夕日が見えなかったことと、シーフード料理がよく見えないことが残念だったが、妻と二人だったので、そんなことも楽しむことが出来た。

海岸沿いにたくさんのやせ細った野良犬が歩いていた。野良犬を見るのも久しぶりで、そんな事でも盛り上がった。

お酒を飲んで、2人でのんびりしていると、突然、現地の8人組の流しがやって来て、「ゴケッコンオメデトウゴザイマース!」と歌を披露してくれた。

世界に一つだけの花

歌が進むにつれ、所々、歌詞がうろ覚えで、適当な所があって、笑ってしまった。他に♪昴♪やら何曲かを強引に聞かされ、聞き終わった後で、チップを要求された。

少し、唖然としたが、新婚旅行で気分も良いので、チップを渡すことにした。

それに、今回の新婚旅行で、妻のお父様が、我々の為に、インドネシアに単身赴任をしていた時に余った10万円あまりのインドネシアの紙幣を持たせてくれていたので、気にならない。気にならない。

彼等に数千円の紙幣をチップとして渡す。

すると、8人の流したちは、怪訝そうな顔をして、その場を立ち去ってしまった。

 

つづく

 

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寺島タイキック!

私、突然、ムエタイジムに通いはじめました。

仕事のパワハラやらで、頭がおかしくなりそうになっていたところ、会社の同僚が近所のムエタイジムに通ってるってーことで、体験入学をしてみたところ、楽しくて、正式に入会してしまったのです。


先ずは、シャドーで鏡を見ながらのパンチの練習。ワンツー、フック。ワンツー、フック!周りの慣れた人の目を気にしながら、型に忠実にパンチの練習です。

ひたすらやります。


次にタイ人の会長とのミット打ちです。

先ずはパンチ。

ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー、フック、ワンツーフック。

ワンツー、フック。


次にキックを交えます。

ワンツー、フック。ワンツーフック。ワンツーフック。キック!硬い!

ワンツー、フック、キック!硬い!

ワンツーキック、硬い!


私、天性の股関節の硬さで、基本のミドルキックの足が上がりません。

(あーーーーあーーー。)


余りの股関節の硬さに、会長も見るに見兼ねたのか、私に股関節のストレッチを進めてくれます。

足の前屈、開脚、あぐらをかいての関節伸ばし。兎に角固すぎて、曲がりません。

今度は、紐で片足を括り付けて、斜め45度に伸ばします。

イデデデデデデデデ!

股関節が悲鳴をあげます。

でも、痛くても構いません。

私の心に中に浮かぶ言葉はこうです。

俺は強くなりたい。俺は強くなりたい。俺は強くなりたい。

鍛えることで、パワハラなどに屈しない心と身体を作るんだ!


股関節を伸ばしたあとは、サンドバッグに向かってひたすら蹴りの練習です。

ミドルキック、ミドルキック、ミドルキック、自分では、蹴りが上手くいっていると思っていますが、足は上がっていません。

それを横目で見ていた会長は、アドバイスをくれます。

軸足を横にして、ナナメから蹴る。


何度かその要領で蹴って見ると、コツを掴んできました。

出来る喜び。

会長も嬉しそうです。


夢中になって、練習して、気づくと2時間は過ぎてしまっています。


会長は言います。毎日、股関節のストレッチをやれば、チョットずつ、チョットずつ、足が上がるようになる。

と。

継続は力。やる気になる言葉です。


そんなわけで、ムエタイを続けて行こうと思います。


ところで、ジムの会長は、なんと、あの方です。

田中、タイキック!

ジャジャーン!


バリ島の思い出 その1

2014年10月16日。

その年の8月17日に結婚した私たち夫婦は、7泊9日の新婚旅行へとインドネシアバリ島へ旅立った。

 

私、海外に行ったことは、過去に1回。なぜか、バブルの時に、高校の修学旅行でカナダに行った時以来の海外なので、25年ぶりとなる。

羽田に9時半頃に着き、搭乗手続きを済ませ、妻と他の飛行機の発着を眺めながら、簡単な朝食を取る。

テンションが上がる妻とは、反対に、私は、なにかドキドキしている。

「パスポート落としてないよな?」「乗車チケットおとしてないよな?」

「飛行機かー。大丈夫かな?」「英語しゃべれないけど、大丈夫かな?」

そんなこんなで、飛行機の乗車時間がやって来た。

飛行機に乗り込む。妻と離れないようにくっついて歩く、なさけない夫である。

席に座る。トイレ近くの席だ。なぜか、スチュワーデスが座る席の近く。

救護要員?妻が、医療関係だから?私は、焼きそばしか作れない男ですけど?

 

11時45分。ガルーダインドネシア航空の飛行機が、バリへ出発のアナウンスと共に羽田を出発する。

 

飛行場から飛行機が飛び立つ。飛び立たない。滑走路を走っている。車輪の音と共にガタガタと振動が起こる。

いつ、飛び立つのか?いつ飛び立つのか?

緊張がじわじわと包む。

妻に話しかけようとしたが、妻は、安心して、もう寝ている。強心臓なのか?

いよいよ飛び立つか?

車輪は、滑走路をまっすぐ走っている。

インドネシア語で、機長がアナウンスし、しばらくして、轟音と共にゆっくりと空へ。

フワ~とした感覚と共に、飛行機は、飛び立った。

雲の上を飛行機が飛ぶ。不思議な気分だ。

冷静に下の景色を見ると怖い気もする。

しかし、私の不安な気持ちはその時には、もう消えていて、少し、ワクワクしている。

 

まだ、日本。どこかの工場群の煙が見える。

しばらくすると、広大な海が光を浴びて、キラキラ輝いている。

なんともちっぽけな富士山が見える。

右翼から見える日本は、ただ山だらけの茶色い土地だ。

日本の狭苦しいオフィスの小さな一点で、こせこせと仕事をしていることが馬鹿馬鹿しくなる。

隣で、寝ていると思っていた妻も起きていて、空からの日本を楽しんでいた。

旅行のガイドブックを一緒に眺めながら、旅行のプランやらとりとめもない会話をしている内に、外を見ると、飛行機は、日本から完全に離れてしまっていた。

今は、どの国の空を飛んでいるのだろう?

右翼から差し込む太陽の光が反射して眩しい。

しばらくして、睡魔が襲ってきて、今度は、私が眠りに就いてしまった。

 

目を覚ますと、現在、15時18分。

到着の17時55分まで、もう、あと2時間弱となっていた。

トータルで、7時間、飛行機に乗る予定だが、全く長く感じない。

ガイドブックである程度のインドネシアの情報を仕入れて来た妻とは違い、

私は、インドネシアを全く調べずにいた。

せめて、何か、文化に触れておこうと思い、機内の音楽サービスで見つけた、インドネシアPOPを聞いて、インドネシアへの思いを馳せた。

私が聞いていて心地よかったのは、女性ボーカルのMaudy Ayudaという歌手の歌だった。

合間に、妻と下らない話をしながら、時間をつぶしていると、いつの間にか、あと10分で、テンパサール国際空港へと到着するという。

ワクワクとソワソワした気持ちが同居して、変な表情をしていると、

妻が笑っていた。

飛行機は、高度を下げ、目的地へむけ羽を下ろそうとしている。

あっという間の7時間だった。 

 

つづく。

 

 

 

 

俺は50万で売られてる③

モラハラパワハラ上司にやられてる俺は、改めて派遣元に、訴えた。

すると、派遣元の上司は、相変わらず、俺に言う。結論から言うと、そこで頑張れ。

変えてくれと言っても、お前を受け入れる先はない、と。

派遣先にも、申し訳が立たないし。

 

本音はこうだ。会社の経営状態が厳しい。

だから、50万で売られてるお前は貴重な収入源だ。50万をみすみす逃すわけにはいかない。だから、会社の為に身を粉にして働けと。

 

そして、次の瞬間、耳を疑うセリフを言い放った。

だけどね。病んだら困るからね。病む前に言ってくれな。あっ、でも、かと言って、受け入れ先はないよ。

病んだ場合は、自ら身を引いてもらうしかなないな。

はっ?50万で、最悪の環境に人を放り投げ、病んだら、困るから、身を引いてくれだと?

 

俺は本当に物か?

 

取締役は、俺の我慢から生まれる収益でゴルフ三昧だ。

いい車を乗り回し、ロクに仕事もしないで、俺たちを搾取している。

 

ロクでもねー。ロクでもねー。

 

泣き寝入りか?

黙って耐え続けて、本当に病むのか?

 

我慢なんかするな。

 

立ち上がるしか、ない。

 

 

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月曜日の朝

月曜日は、本当に憂鬱に襲われる。

仕事の事を考えると早朝4時頃に目が覚めてしまう。

もう一度、眠ろうとしても、仕事の事が頭を支配して、溢れ出しそうになり、目が冴える。気づくと唸っている自分がいる。


隣では妻と子供が寝ているのに。心の淀みが声になって出てしまう。


うだうだと寝床で身体をよじらせていると、朝6時の目覚ましがなってしまう。

時間は止まってくれない。

良いことも悪いことも関係なく、時間は、冷たく流れて行く。


そうした嫌な気持ちを抱えながら、顔を洗い、髭を剃り、朝飯を食べて、通勤ラッシュに巻き込まれてゆく。


電車の中で、立っていようが、座れようが関係なく、会社に向かうことがよぎり、胸が疼く。

仕事場の駅に着く。


8分間歩くとオフィスだが、何度も引き返せたら楽だろうなと思うが、そうはいかない。


そんなことを考えていたら、結局、オフィスに着いてしまった。


生活の為に無抵抗で、働かざるを得ない。


嫌々仕事をやる事は、なんて苦痛なんだろうか?


土曜日の朝と日曜日の夜

タイムカードを一刻も早く押し、やたらと重苦しい雰囲気の会社の建物から脱出する。


今週も合わない仕事や嫌な人間関係をなんとか、耐え、週末、金曜の夜を迎えた。

妻や子供の顔を早く見たくて、家に帰る。

今日も2人は私を暖かく迎えてくれる。

有難いことだ。


金曜の夜は、貴重だ。一番楽しいかもしれない。子供が、笑顔で私に遊んでくれと、近づいてくるので、思いっきり遊んでやる。

遊んでやる?いや、遊んでもらってるのは、私の方だ。疲れた心が洗われる。

とことん遊んで、子供が寝てしまうと、妻と取り留めもない話をして、私も早く寝てしまった。妻には仕事の話はするまい。愚痴ばかりで、迷惑を掛けてしまう。


土曜日の朝。早く目覚める。仕事から解放されたのに、仕事のことを考えて胸が苦しくなってしまう。いつもこうだ。休みの日なのに休み明けの月曜日の事を思うと、積んでる気がしてしまう。

気を取り直して、貴重な休みの時間を惜しむように、活動的に動くが、ふと、頭をよぎる仕事。。

気にするな。まだ、明日一日あるさ。


日曜日の朝も同じような気持ちで目覚め、胸をかきむしる。

月曜日の事を忘れるために、子供と思い切り遊び、妻の手伝いをし、余った時間にフットサルで朝を流しに、外へ出かける。

フットサルで汗を流し、気づくともう、夕方。

まだ、日曜日は、残っている。子供とお風呂に入り、また、遊んでもらう。

子供を何度も抱きしめる。

色んな感情がこみ上げる。


子供が眠りに入り、

気づくと、日曜日ももう、21時。


21時を迎えた頃から、嫌な気持ちに支配される。仕事が追ってくる。嫌な人間関係が追ってくる。明日を迎えたくない。仕事に行きたくない。

次の日の朝、6時の目覚めのタイマーが嫌だ。


40代になり、こんな気持ちを毎回、抱えて、転職を繰り返してしまっている。

言えることは、自分が何に向いているのかを考えに考えても、実力がないので、思い通りの職に就くことができなかったこと。

いや、もっと若い二十代の頃に方向性を真剣に固めなければならなかったのだ。


仕方がない。時間は戻りはしない。自分以外の人もみんな同じだろう。私だけだと思うのが、甘ったれた発想だ。みんな嫌々、生活の為に耐えているんだ。

しかし、こんな事を書き綴っていると、自分が、単に働きたくないだけの、情けのない中年になってしまったことに気づく。


子供や妻に、もう少し胸を張って生きる自分を見せたい。


何とか、自分の納得の行く生き方を考え続けなければ。