バリ島の思い出⑥

バリ島の新婚旅行日記の第六弾となります。

 

インドネシア旅行3日目。夕方に旅行会社のオプショナルツアーを予約していた、私達新婚夫婦は、集合場所である、ホテルのロビーに向かった。

ロビーに着くと、すぐに旅行会社の現地コーディネイターが、こちらにやって来て、流暢な日本語で話しかけてきた。

「テラシマサマデスカ?」俳優の伊武雅刀インドネシア版の様な顔をした彼は、

業務的な必要最小限の日本語を駆使して、私達を乗せるタクシーへと案内してくれた。

コーディネーターと私達夫婦は、タクシーへ乗り込む。

コーディネーター「キョウハシチジカラノミンゾクブトウデスネ。

ソノマエニ、カイモノシテカラ、ユウショクニシマスカ?」

と聞かれたので、私が「そうだ。」と伝えると、彼は、運転手にその事を伝える。

程なくして、ウブドの街へとタクシーは、走り出す。

コーディネーターが、再度、話しかけて来る。

「ナニカカイモノシマスカ?タベモノヤハキマッテイマスカ?」

私達は、行きたい店があると伝えたが、コーディネーターは、こちらの話を受け入れてくれずに、話を進めようとする。

「ザンネンナガラ、ゼンブマワルコトハ、ムズカシイトオモイマスノデ、ワタシタチノオススメノミセニ、ゴアンナイシマスヨ」

オプショナルツアーは、ある程度の自由が利くツアーだと思っていたが、どうも違うらしい。

妻が私に、

「彼らは、自分たちの知っているお店を回って、店側にマージンを貰ってるのよ。

だから、向こうの言いなりになると損するし、自由に行きたい店に行けないよ。」

と耳打ちしてきた。

けれども、無下に断ると、タクシーから降ろされても困るので、取り敢えずは、向こうが薦めて来た土産屋を回ることにして、自由にしてもらう機会を待つ作戦を取った。

まず初めに連れてこられたのは、観光客向けの土産物屋。

インドネシアキャイーン天野君のような風貌の不機嫌そうな店員のいる店だった。

ざっと見渡して、大したものは、売っていなかった。

売っていなかったのだが、いちいち我々について回る、天野君のプレッシャーが、相当な強さだったので、申し訳程度にバリの絵柄のパッケージのクッキーを買うことにした。(このクッキーは、会社の部長用のお土産になりました。すいません。)

天野君は、不機嫌そうな表情で私をレジに誘導し、不機嫌そうに会計をさせて、不機嫌そうに私達を見送った。

店を出ると、天野君と伊武雅刀似のガイドは、何やら目配せをして、コミュニケーションを取っていることに気付いてしまった。

「この客、だめだよ。クッキーしか買わねー。商売あがったりだ!」とでも言っているような表情に見えた。

次に連れていかれた店は、アクセサリーのお店。

私達は、インドネシアの幸運を呼ぶお守りと呼ばれている、ガムランボールなるものが欲しかったので、それを探してみた。

しかし、特別にデザインの良いアクセサリーはなかったので、私たちは、興味のある振りをして、何も買わなかった。

俺は冷たい人間

会社帰りの電車を待つ。

溢れるほどの人を乗せ、電車がやってきた。降りて行く人の流れを見ながら、俺は、電車に乗り込もうとする。降りようとしていた、おじいさんが、自分の鞄を落とした。その鞄を拾おうとしゃがむが、次から次へと降りる人の波に押されていった。

鞄は取れない。おじいさんはよろけてこけそうになる。

それを目の前で見ていたのに、俺は、俺は、都会人の顔をして、知らんぷりで手を差し伸べようともしない。

なんて、冷たい人間なんだろう。

初詣とお月様

年末から、2日にかけて、妻、1歳の息子、私の3人で、妻の実家へ帰った。

先に兄夫婦の奥さんと3歳になる甥っ子と7ヶ月の姪っ子も妻の実家に来ていた。7ヶ月の姪っ子は、比較的おとなしい方だが、3歳になる甥っ子は、わんぱく盛りとイヤイヤ期で中々、きかない。公園に行くと決めたら、雨が降ろうが槍が降ろうが、「公園に行く、公園に行く、公園に行く、公園に行く、公園に行く!」

みかんをもう一個食べたいと思ったら、「みかんもう一個食べる、みかんもう一個食べる、みかんもう一個食べる、みかんもう一個食べる、みかんもう一個食べる!」と面倒くさい!

妻のおかぁさんは、一昨年、独り身になり、寂しい所だが、そんなわんぱくがいるので、かえって賑やかで嬉しそうだった。

元日。皆でおせちをつつき、団欒したあと、混雑を避け、皆で初詣に行った。昼の3時なら、混んでいないだろうと出かけて行ったが、皆、同じ事を考えているのか、混んで行列が出来ていた。

並んでいる最中に、妻のおかぁさんが、3歳の甥っ子に、何をお祈りするの?と聞くと、「僕はねー。いーっぱいご飯食べられますように、お願いするの」と、現実的な、答え。

1時間ほど、並んだだろうか?

順番が回ってきて、みんなでお祈りする。私もお祈りする。

家族が安心して暮らせますように。


妻の実家への帰り道。

陽は落ちて、すっかり夜が顔を覗かせている。上り坂、下り坂、でこぼこ道、みんなでゆっくりと歩く。歩いていると辺りは暗くなり、街灯が優しい時間帯になってきた。

妻のおかぁさんが、空を見上げて言う。「見て、まんっまるのお月様」

3歳の甥っ子に、教えてあげると、何度も何度も振り返り、その月を見て、「おっきな月だねー。」と、びっくりしていた。

我々大人も、いつもより大きくてまんまるの月を見上げ、感激していた。いつのまにか、その場所が思い出になっていた。

その月が、スーパームーンだと、知ったのは、2日後のことだ。

年末クレームおじさん

年末の街角、ベンチに座っていたら、声が聞こえて来た。おしゃれハットに、柄のシャツにジーンズ。ナイキのスニーカーを履いた若風のおじさんが電話してる。

わかってんの?さっきからさー、わかりません。わかりません。って、俺は客だよ?

担当の誰に電話してるかもわからずに電話して来て、適当なこと言ってるけどさー。なんなの?あんたの上司に電話させろよ。

いやいや、何言ってんだよ?意味がわからない。おたく、金融関係でしょ?他の金融関係の方がちゃんとしてるよ。そんなんなら、乗り換えるよ他のとこに。

えっ?うんうん、わかったよ。わかった。じゃあ、上司に電話させて。すぐ、電話して。すぐ。すぐだよ。


正当な理由でクレームを言っているかもしれないんだけど、周りに聞こえるくらい大声だし、偉そうだし。こちらがクレームを言いたい!

なんて年末の一コマ。


俺は50万で売られてる⑤

派遣元に搾取され、派遣先でもいいように働かされてる俺。

2人でやるべき仕事を1人でやらされている。担当は1人。機械関係の仕事。文系で、詳しくない俺が機械のことなどわかるわけがないのに、こんな仕事に放り込まれちまった。

他の人間は、更に、俺より詳しくなく、手伝ってもらうにも手伝いようがない。全て俺に集中する仕事。

仕事を休めない。仕事が追いかけてくる。毎日、毎日、追い込まれてる。

朝、早くに目覚めてしまう。寝ていても仕事が追いかけてくるんだ。

たまに声を上げて起きてしまう「うわーーーー!」

妻と子供に申し訳ないが、精神状態がおかしい。

ある日、妻に何なのか?と言われた時に思わず口を突いていた。「うるせー!」

最悪だ。一番信頼してる人間に怒鳴ってしまった。

なんで、こんなになったんだ?

馬鹿野郎!仕事で追い込まれて、何故、こんなことにならなきゃならないんだ?

仕事ってなんだ?

毎日、酒を飲んでしまう。

酔えない。

最悪だ。典型的なだめオヤジだ。


ある日、俺を搾取している派遣元の取締役と部長が、やってきた。

俺に追い打ちをかける。

お前、この仕事だめなら、社会人としても終わりだぞ。

お前は、派遣先に雇ってもらってるんだぞ。ありがたく思え。

何故お前1人でやらせてるかわかるか?2人にしたら、派遣先にもらってる金に見合わないからな。

お前は50万なんだよ。

お前らはいくら懐に入ってくるんだ?派遣先はいくら、懐に入れてるんだ?俺は、幾らの価値なんだ?人を物のように扱いやがって。

社会人として終わりだと?

全世界を見渡してそう判断してんのか?お?

俺がいつまでも奴隷だと思うなよ。




バリ島の思い出 その5

バリ島の新婚旅行日記の第五弾となります。

 

新婚旅行で持参したインドネシアの紙幣ルピーが、使えないと分かり、インドネシア中央銀行に交換に行くも交換が出来ずにホテルへ戻った、私たち夫婦。

くたびれ果てて、ベッドで、しばらく眠り、目覚めると、3日目の朝となっていた。

インドネシア旅行3日目。10月18日(土)

朝、インドネシアの空が見たくて、寝ている妻を起こさないよう、こっそり部屋のベランダに出てみた。外は、湿度がそれほど高くなく、過ごしやすい熱さだ。

ベランダに、2人で寝そべる事が出来るくらいの籐のソファーのようなものが置かれていたので、1人、寝転がり、ボーっとしていた。

ホテル敷地内の庭では、牛が放牧されている。のんびりとした牛の鳴き声と首に巻かれた鈴の音色、遠くの空を見ていたら、心が解放され、チマチマ、こせこせした日本なんて、馬鹿馬鹿しい国には、帰りたくなくなって来る。

 

しばらくぼーっとしていると、妻が起きて来た。

今日は、夕方に旅行会社のオプショナルツアーを予約し、ウブドインドネシアの伝統舞踊を見に行く予定となっている。

その前に少し時間もあるので、ホテル近くにある海岸へ行くことになった。

海岸に到着すると、まず目に飛び込んで来たのは、広大でどこまでも終わりのない青々とした海だった。照り付ける日差しに応じるように海は大きく波打ち、私たちを歓迎しているようだった。

波が高いので、現地の監視員は、利用者をしっかりと監視し、誰かが危険な場所へ行こうとすると、注意を促していた。

恐いもの知らずの妻は、ここなら大丈夫と、大きな岩と岩の隙間を見つけ、私を誘う。

その場所は、思いのほか、大きな波が来ており、その波が岩にぶつかる事で、勢いを増していた。

「ここは、波が高くて危険だよ。流されちゃうよ」

と、私が言うと、妻は、笑いながら、何食わぬ顔で「大丈夫、大丈夫」というが、何が大丈夫だというのだろう?大丈夫じゃない波が来ている。

いやいや、本当にまずいんじゃないか?と思っていると、すかさず、監視員に注意された。

別の場所に移動し、比較的波が弱い海岸添いに行くが、しばらくすると、その場所も波の勢いが増してきた。妻は何気ない顔をしていたが、私は、必要以上に膝を上げてその波から逃げていた。

その様子を見ていた監視員たちは、私のリアクションの大きさに声を出して笑っていた。

照り付ける強い日差しにジリジリとしながらも、大きな青い海と波を見ながら、楽しむ時間。こんな時間がいつまでも続くといいのに。

海岸には、私たち夫婦の他に、中国人カップルが2組、日本人の女の子が2人がいた。

彼等も私たちと同じように、押し寄せる波に近づいたり、逃げたりしてテンション高く、はしゃいでいた。みんな楽しそうだ。

日差しが強すぎ、暑さに耐えられなくなった私達は、木陰に移動し、ホテルで用意してくれていた、ビーチパラソル付きのソファーに寝転がりながら、人や海を見ていた。

しばらく涼んでから、再び海岸に戻り、私が日本から持ってきたサッカーボールで妻とパス交換をしたり、海に再び入ったりと、海での自由な時間を2時間ほど満喫しただろうか?

夕方のオプショナルツアーの時間が近づいてきたので、その準備のためにホテルに戻った。

 

つづく

 

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母の強さ

あれは、小学二年生の頃。10階建て のボロビルに住んでいた頃の話。

学校が終わり、いつもなら、友達と遊んで、夕暮れ時に家に帰るのだが、今日は誰も遊んでくれない。
しょーがねーかと、家に帰る。

母は、専業主婦だったから、常に家に居たのだけれど、その日は、たまたまいなかった。
幼きヒョロヒョロの私は、母の帰りを待つべくビルの入り口で待ち続けることにした。ビルの隣には、鯛焼き屋さんがあり、その鯛焼きを焼く匂いを嗅ぎながら、母の帰りを待つことにした。
1時間経っても母は戻ってこない。
2時間経っても帰ってこない。
私はやることがなくなり、下水の小さな穴に足で石ころを入れる遊びを思いついた。
夢中になって、石ころを下水に入れた。下ばかり向いていた。
通りすがりのおばぁさんが、僕に話しかけてくる。
1人かい?
シャイな僕はただ、節目がちに頷くだけだった。
おばぁさんは、何か言いたそうな顔をして、遠くに消えていった。
 
まだ、母は帰ってこない。
引き続き、石ころ遊びをしながら待つ。
母は帰ってこない。
下を向いていた、その時、後ろから誰かに肩を掴まれた。
母か?
いや、知らないおじさんだ。
「1人?」
僕は固まった。
「おじさんと、どっか行こう。」
 
ものすごい強い力で私を押さえつける。おじさんに連れていかれそうになる。
声が出ない。このまま、おじさんにさらわれてしまうのか?
怖い。怖い。
 
その時、だ。
 
「あんたーーーーーーーーー!、なにやってんのよーーーーーーーー!
 うちの子にーーーーーーーー!」
母が、絶妙なタイミングで向かいの入り口から血相を変えて、飛んできた。
いつもは、優しい母がその時ばかりは鬼の形相だった。
 
母は、私を抱きしめ、おじさんから強い力で、引き離す。
 
おじさんは、かなりビビった表情で、そそくさと退散して行った。
 
母は、私をもう一度、強く抱きしめた。ただ、何も言わず、私を強く抱きしめた。
 
警察に通報した。聞けば、おじさんは、この界隈で子供に声を掛けて連れ去ろうとするおじさんらしい。
 
しかし、あの時、誰も助けてくれなかったとしたら、どうなっていたのだろう?
母の本能が、私を見つけてくれたのだろうか?
今もたまにあの時のことを思い出すが、母の温もりだけは、未だに残っている。
 
母に感謝。